気まぐれ日記 2017年10月


2017年9月はここ

10月1日(日)「三日連続のふくろうか・・・の風さん」
 今朝未明に第2章のゲラ校正が終了した。これが限界だと思った。
 途中で入浴して温まった体はすっかり冷え切っていた。そのままベッドに倒れ込んだ。
 約3時間仮眠し、朝食前にコンビニへ直行した。クロネコに着払いでゲラを送ってもらうためだ。長い宛先を書くのに手こずったが、終わってから、伝票を一つもらった。明日のためだ。ゲラは明日の午前中に届く。やれやれ。
 トーストで遅い朝食を摂ったが、すぐまた寝るわけにはいかなかった。名古屋へ出かけるワイフを駅まで送る仕事があった。
 22日に茨城県で講演をするので、近くの3人へのお知らせハガキを作成した。裏に講演会のチラシを縮小して印刷したので、カッコいいのができた。
 ワイフを駅まで送った後、ハガキを5通投函した。日曜日の回収時刻にギリギリ間に合った。
 帰宅してようやく仮眠に入った。
 目が覚めたら外は夕闇だった。
 急いで晩御飯を食べ、第3章のゲラ校正に取り掛かった。
 ワイフが帰宅したのは11時前で、今夜も私は徹夜態勢になってきた。

10月2日(月)「乱れた作家生活・・・の風さん」
 あれからぶっ続けで校正をしたが、終わらないまま今朝の6時半に書斎でダウン。
 1時間くらいたった頃、ケータイに電話がかかってきた(笑)。
 8時半にとりあえず起きて、校正の続き。
 実は、昨日から2階のトイレが不調である。直下のユニットバスの天井に滴がたれる音もする。今日の昼過ぎにリフォームをしてくれた水道屋さんが、昼過ぎに点検に来てくれることになっているので、その対応もあるのだ。
 校正が終了しないうちに水道屋がやって来た。続けてリフォーム会社の営業マンも。その対応をワイフと手分けしてやりながら、同時に校正作業も続けた。早くコンビニから宅配を出したかった。
 トイレの点検作業が終わらないうちに、私の校正作業の方が終わった。急いで、宅配の準備をして、コンビニへ直行した。
 伝票は昨夜のうちに書いてあったので、出すのは楽だった。第3章の初校ゲラ校正が完了である。本当は先週末までに出版社へ提出するはずだった。
 帰宅して、今度は真剣にトイレの点検作業に関わった。
 どうやら致命的な故障ではなく、屋外の排水溝の接続部分に雑草の根がびっしりと詰まっていたことが原因だったようだ。築30年近いことと、先日のリフォーム工事では点検しなかった場所だったから、気が付かなかったわけだ。
 コーヒーでねぎらいながらしばし雑談した。眠そうな様子がばれて、私が作家であることが話題になり、「私も職人です。文章を書く職人です」と話したら、水道屋さんは喜んでいた。本当にそう思っているのだから仕方ない。ただし、「毎回、工事内容が違う職人で、しかもそれを提案しなければならない」と付け加えたら、さらに納得していた。
 長女が作ってくれたレアチーズケーキを食べてから、少し雑務をこなし、ようやく仮眠できる状態になった、というか、やはりもう限界だった。
 結局、レアチーズケーキを食べただけで、約4時間の仮眠から目が覚めたときは、もう夜の9時を回っていた。
 遅い夕食を摂り、その後、土曜日のトークへ向けて準備を開始したが、ちょっと無理そうだったので、今夜はしっかり入浴して寝ることにした。実は、左のあごも原因不明の痛みが出ている。
 就寝は午前3時だった。

10月3日(火)「エンドレスの仕事・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送るため、5時半に起床。
 駅まで送った帰りに、京都の長男へ郵便物を投函した。
 帰宅して、寝直し(笑)。2度目の起床は10時過ぎで、途中でやってきた宅配を受け取れなかった。ワイフはもう福井に着いているだろうか。
 今日の目標は、土曜日のトークセッションのスライドの完成である。明日は非常勤講義があるし、明後日は午前中が病院で、午後も2つ用事がある。明後日の昼前後までにまたビジネス本の校正ゲラを宅配で送るなら、トークセッションのスライドは今日中に完成させなければならない。レジュメも明後日が締め切りだ。
 昼食はインスタントラーメンで、あっという間に終了。
 午後からようやくスライド作成が本格化した。枚数をたくさん作る気はないので、普通なら早くできるが、ゼロから作るスライドが全体の3分の2になる。しかも面白いストーリーというか話の展開のイメージができていない。いつひらめきが出るか、それがつらいところだ。
 途中で、金曜日のビジネスセミナーのための名刺がないことに気が付いた。非常勤講師の名刺で、1枚しかない。年内の他の用事のことも考えると、作っておかねばならない。スライド作成をしながら、30枚補充印刷をした。
 宅配を2回受け取ったり、ワイフの知り合いが届け物を持ってきたのを受け取ったりしているうちに、早くも夕闇があたりを覆ってきた。秋分を過ぎたので、日が短くなる一方だ。過ごしやすい気候だが、気分は低調になる。
 晩ご飯はレトルトのハヤシライスを作って食べた。あっという間である。
 夜に入って、ようやく今回のトークの展開のアイデアが決まった。今までやったことのない展開だが、これは面白い。会場の編集者4人を巻き込む展開である。
 11時にワイフを迎えに行ったが、スライド作成は佳境に入っているだけで、いつ完成するか見えなかった。
 夜食代わりにドーナツを2個食べて、また書斎にこもった。
 草木も眠る丑三つ時に、トークセッション来場者に配る記念カードのアイデアも出て、そのデータ作成もおこなった。

10月4日(水)「いつまで続く半徹夜・・・の風さん」
 トークセッションのスライドがだいたい完成したのが、今朝の午前7時だった。
 今日が休みならもう少し先までやるのだが、そういうわけにはいかない。とりあえず少し仮眠するため、いつものように書斎で横になった(床の上)。
 8時半起床……と書くのは変だな(笑)。
 寝不足で頭が重いので、キャメロンで出かけるのはやめ、最寄りの駅から講義に向かうことにした。
 車中では、講義の参考資料である財務分析の本を読んで復習した。ビジネススクールで初めて勉強した内容だが、日ごろ使っているわけではないので、すぐ忘れてしまう。しかし、参考書がすぐれているので、すぐ思い出す。
 本山ではJPへ直行し、郵便物の投函と、ATMからの送金処理をした。それから昼食にしたのだが、パワーが必要な気がしたので、かつ丼を食べた。
 キャンパス内でも講義の準備をし、わずかな時間にコーヒーを飲もうとしていたら、事務員がお菓子をくれた。
 準備をしっかりやってあったので、1時間半の講義は無事終えることができた。あと13回残っている。
 地下鉄と名鉄を利用し、最後は徒歩で帰宅した。もうヘトヘトだった。着替えて、ベッドに倒れ込んだ。
 約2時間半の仮眠がとれたので、今朝の分と合わせて4時間の睡眠時間となった。
 夕食後、トークセッションの準備の残りに取り掛かった。今夜中にレジュメのデータを送らねばならなかった。
 また凝り性の悪い癖が出て、完璧なレジュメに挑み出した。高度な歴史考証を、研究書を元にして、レジュメに反映するのである。
 午前零時を過ぎてもできそうになかったので、先にシャワーを浴びることにした。
 また半徹夜になるのが明らかだったので、夜食代わりに特製アンパンを食べた。
 レジュメなどが完成したのは午前3時過ぎだった。

10月5日(木)「昨日の再現か・・・の風さん」
 今日も徹夜をするわけにはいかないので、7時から8時半まで仮眠した。昨日の再現みたい(苦笑)。
 朝食後、コンビニに寄って校正済みの第4章のゲラ+αの宅配を手配した。私の著者校正の後は、編集者の校正やイラストの追加や修正があるので、小出しでも、できるだけ早くボール(情報)をトス(伝達)しておかねばならない。これはビジネスの鉄則である。
 コンビニからクリニックへ向かい、ウィークリーのリハビリの前に内科受診をした。内科受診は薬の処方があるので、8週間に1度の頻度である。医師の診察の前の体重測定でやばい数値が出た。超多忙を乗り切ったら筋トレを再開しなければならない。
 昼過ぎに帰宅したが、体重のことを考え、今日の昼食は抜くことにした。
 午後2時にリフォーム会社がカメラマンを連れて来た。リフォームしたトイレやバスルームのモデル撮影(PR目的)をするためだ。
 プロカメラマンの仕事ぶりを眺めるのは勉強になるが、寝不足の私にはなかなか気力が起きなかった。しかし、ワイフの勧めで、私が気に入っているバスルーム用のスピーカーを提供したあたりから、状況が変化した。このBluetoothで鳴るスピーカーにカメラマンがいたく感動し、アーチストとしてのハートに火をつけたらしい。ワイフの協力で、バスルームだけでなく洗面所にもしゃれた花をアレンジした。洗面所の花は鏡の前なので、それが映ることで空間に奥行きが出るのである。感心した。
 午後4時からは、来週末の地元での講演会のための事前打ち合わせがあるので、図書館へ行った。
 講演会場は土地の古い豪族の屋敷を使うので、和算グッズの展示を提案した。一般の人に話すので、和算の難しい話はできない。私のしゃべりよりも、現物の方が印象的、効果的ということは十分考えられる。それで、提案したのである。とりあえず預けてきた。
 その他、色々と打ち合わせしたが、まだ講演内容は決めていない。もちろんきっかけになった課題図書の話はするけれど。
 帰宅して、また仮眠した。明日までにやらねばならないことがあり、ハンパな量ではないからだ。
 夕食後、ビジネス本の初稿ゲラ第5章以降の著者校正に取り掛かった。
 今日活躍したワイフは、喉が痛いと言って早めに就寝した。

10月6日(金)「限界近し・・・の風さん」
 昨夜から取り組んでいた第5章の初稿ゲラの著者校正が完了したので(付録はまだ)、元のワード原稿のみメールで送信しておいた。大事なことは、第5章には図表の変更がないと伝えることだった。
 8時の電車で出かけるワイフを駅まで送らねばならなかったが、6時半から7時半まで1時間だけ仮眠することにした。外は雨である。
 7時半に起きて階下へ行くと、ワイフが「熱があるので出かけないことにした」と言った。メールでそのことを連絡したばかりだと言う。
 私も無理をしているが、ワイフは私よりもっと無理している気がしていた。とうとう風邪をひいてしまったのだ。
 私は9時前の電車で名古屋へ向かったが、行きの車中ではウトウトするばかりだった。
 JMAの新しい異業種交流「生産技術者ワークショップ」が始まった。私はアドバイザーの一人として、来年3月まで仕事をすることになる。
 今回の参加メンバーは若くてつぶぞろいだった。これだけ前向きで、向上心があるなら、私の役割はそれほど大きくないと思った。
 ビジネス本には、第5章の次に付録がついている。そのゲラの校正まではできていなかった。苦肉の策で、ワークショップまで持参してきていた。
 昼休みに外出して、名古屋駅隣接のデパートまで行って来た。目的は、明日の東京での講演に来てくれる知人や友人へのお土産を買うためだった。たくさんいるので、安価な品物を6個購入し、ワイフのためにトローチも買って、また戻った。
 夕方までに、残っていた付録の著者校正の仕事もだいたい完了した。
 その後、場所を変えて懇親会になった。
 帰宅したのは午後8時半だった。
 ワイフはだいぶ復活してきたらしい。
 私はすぐ書斎へ直行した。
 明日、ビジネス本の出版社の編集長に渡せるように、最後の仕上げに取りかかった。
 それは何とか終えることができ、続いて、明日の講演で配る記念カードの印刷をした。
 その後、ついに限界が来たので、少し仮眠することにした。4時から8時まで寝た。

10月7日(土)「頑張ったトークセッション・・・の風さん」
 午後、上京しなければならない。午後7時半からまたジュンク堂池袋本店でトークセッションをやるのだ。
 起床後、午前中は、トークセッションのスライドの最後の仕上げである。4日(水)にだいたい完成させてあったが、イマイチ納得できていない部分があった。
 今朝の仮眠は久しぶりに4時間という長さだったので、ようやく元気が出て来た。
 順調にスライドの完成度を上げて行くことができた。
 昨日の雨も上がって好い天気だ。これなら東京雨男と言われることもない。
 行きの新幹線車中で、さらにスライドの最終仕上げをおこなった。実際に使用するMacBookAirでおこなうので、安心感も増す。
 池袋に着いて、トークの前に、某出版社と打ち合わせた。1月の再現である。本当に再現で、打ち合わせ場所も同じだったが、1月と同様に、そこになかなかたどり着けず、途中で3人に方向を尋ねる必要があった。これも1月と同じ。
 あれから私の仕事はほとんど進んでいなかったが、信じられないことに、1月のそのまま続きの打ち合わせになった。
 しかし、打ち合わせを提案してよかった。来年は、その出版社の仕事を最優先でおこなうことを伝えた。
 6時半にトークセッション会場に着き、バタバタと準備が始まった。
 身内が多いという難点はあったが、仕方ない。会場は満席近かった。いくらかホッとした。
 講演スライドの完成度が高かったので、観客を満足させることができたと思う。
 終了後、『ひらけ蘭学のとびら』出版関係者だけで食事に行った。
 編集部のレベルが高く、知識も幅広く、好奇心も旺盛だったので、私のとんでもない話もすべて通じた気がする。楽しかった。
 ほとんど終電に乗り込んで、定宿に向かった。

10月8日(日)「解放感・・・の風さん」
 久しぶりに連続6時間寝た(^_^)。空は快晴だ。前途は明るいかも。
 朝食を摂りにホテルのレストランに行くと、家族連れがたくさん! そうか、3連休のど真ん中なのだ。どうりで宿泊代がいつもよりも高かったわけだ。皆、楽しく、た〜くさん食べていたので、私は普通にしておいた(笑)。
 予定通りにチェックアウトし、予定通りの電車で東京駅へ向かったが、電車は混んでいた。首都圏にいる人は、閑散としている地方のことは忘れているだろうなあ。
 昼食抜きで新幹線(いつも使っているこだまのグリーン)に乗り、元気があるので、ずっと作業をしていたが、のろまなので、仕事は終わらない。ついでに、持ち込んだコーヒーも飲み終わらなかったし、富士山を拝む余裕もなかった。
 名古屋も素通りして、家路を急いだ。
 帰宅したのは3時過ぎだった。好きな田舎に住んでいるので、移動時間は長い。
 コーヒータイムの後、日が陰ってきたので、久しぶりに草刈りをした。完全武装で、顔には虫よけスプレーを噴霧したのだが、液がかからなかった左耳だけ蚊に食われた。まさに耳なし芳一だ。
 夕食までリビングでソファに横になったが、蚊に食われた耳がかゆくて、まともに寝られなかった。
 夕食後は、雑務の山を崩すことに専念したが、多過ぎで、たくさん残っている。
 元気だったので、就寝は2時。

10月9日(月)「雑務の山崩し終わらず・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送ったついでに、アクアを満タン給油してきた(帰りにハガキを2通投函)。今日もたまっている雑務を方付けながら、次のヤマ場をこえる準備を開始しなければならない。
 そんなことをしている時に、珍しくヤクルトレディがやってきて、キャンペーンの説明をして行った。まだ新人のようで、これも修行の一環なのだろうが、子どもの減ってきている地域での販促はむずかしいだろう。乳酸菌は花粉症対策で興味があるのだが、ちょっと時期がずれているなあ。
 ダイエットも意識しているので、今日も昼食は抜き(おやつは食べているから無意味かもしれないが)。
 久しぶりに風呂掃除をした。コンスタントに担当できるようになるのは、年末くらいからだろう。
 疲れたので、少し昼寝した。
 ツムツムのイベントが始まった。アイテム稼ぎ時だ(^_^;)。
 実は、月末でプロバイダーがホームページの提供をやめてしまう。以前からわかっていたことだが、ホームページ移行の準備に手をつけることができないでいた。いよいよどん詰まりになってきたので、今日から準備を開始した。現在、気まぐれ日記のバックアップで使っているWebsiteを利用する。
 あちこちへメールを送っているうちに夜も更けてしまったので、今日はこれで閉店。

10月10日(火)「顎関節炎・・・の風さん」
 かかりつけの整形外科へ行った。10日前から左の顎が痛くて、治らないからだ。
 連休明けのせいだろう。大変な混雑で、なかなか呼ばれなかった。
 結局、レントゲン撮影もしてもらい、顎関節炎と診断された。若い人でもなる病気とのことで、特に心配はなさそうだった。
 病院にいるだけで正午を過ぎてしまったが、帰りにまた雑用をしながら帰宅した。今日も昼食は抜くことにした(お菓子は食べるけど)。
 午後、また少し昼寝して、夕方から明日の非常勤講義の準備に取り掛かった。ほとんど準備できていたので、復習が中心だった。睡眠を補充した後なので、頭脳が冴えていた(笑)。明日はバッチリだろう。
 夕食後は、早くもエネルギー切れになってきた。午前中の病院でかなり消耗したのだろう。
 仕方ないので、雑務処理の続きをやって、さっさとシャワーを浴びて、最後にメールを2つ送ってから就寝した。
 それでも午前1時半だった。

10月11日(水)「また乱れた生活・・・の風さん」
 普通に起床し、雑務を精一杯処理してからキャメロンで出発した。雲一つない青空である。エアコンのスイッチを入れた。
 いつものように途中駅にキャメロンをとめ、電車と地下鉄を乗り継いで本山キャンパスへ着いた。
 今日も昼食は抜き。慌ただしく準備をして講義室へ。
 準備はバッチリできていたので、安心して講義を進めた。オペレーションズリサーチを教えているのだが、今回は投資判断がテーマで、利率が出てくるため、日本の経済や資本主義のしくみを先に説明した。量的緩和や国債引き受けの話もである。経済学や経営学の話までしてしまうのが私の特徴だが、五十代になって勉強したことが生きている。
 講義を終えたあと、郵便局で送金処理をし、その後、来月訪問予定の秋田県の某小学校へ電話した。算額を保管している小学校で、見学が可能か質問することと、可能なら許可してもらいたいとお願いするためだった。
 事前に送ったつもりのメールが届いていなかったことと、電話に出てくれた先生が算額の保管状況を把握できていなかったこともあり、明日、再度電話することにした。
 キャメロンで途中買い物もしながら帰宅した。
 急いで雑務処理の続きをやったが、ひどく疲労感をおぼえたので、夕食まで仮眠することにした……ら、そのまま爆睡してしまった。
 目覚めたのが11時半ころで、ワイフは死んだように寝ている私を起こすのを遠慮していたらしい。
 昼食も抜いていたし、これから頑張らねばならないので、超遅い晩御飯を食べさせてもらった。
 その後、仮眠効果もあって、だんだん元気が出てきた。
 日曜日の講演の準備が進んだ。午前4時を回って、ぼやぼやしていると夜が明けそうだったので、再び仮眠することにした。 

10月12日(木)「着々と準備・・・の風さん」
 8時にiPhoneの目覚ましで無理やり起床。
 さっき食べたばかりなので、朝食は抜き……しかし、コーヒーを淹れてクッキーだけ食べた。
 10時半に昨日の小学校へ電話して、算額見学が可能という返事を得た。
 これで急に世の中が明るくなった気がした。別に心配していたわけではなく、一つの節目をこえた感じがしたからだ。
 それで、安心して、岩手県和算研究会の会長へ電話をした。秋田での算額見学の誘いをしたのだ。これが見事に当たった。以前から見学したいと思っていた算額が、私の計画の中に含まれていたからだ。会長は喜んでくれたが、私の方がもっと嬉しかった。やはり専門家が立ち会ってくれた方が、見学の意義が大きくなる。
 今朝の4時まで頑張った勢いを維持しながら、日曜日の講演のスライド作りに励んだ。
 夕方までにだいたい完成したので、続けてレジュメ作成に取り掛かった。完成したので、事務局へメールで送った。
 夕食後は、明日見本が出る予定の新刊を送る宛名シールの作成に注力した。
 何とか完成し、郵送の準備も終えた。午前1時近かった。 

10月13日(金)「やり始めたらとことん・・・の風さん」
 普通に起床。今にも降り出しそうな空模様だ。明後日の地元での講演が心配である。
 ワイフを駅まで送った後、昨夜準備した宛名シールを出版社へ郵送した。
 リハビリに出かけた。PTに「今度は顎関節炎になった」と言ったら「治るんですか」と聞かれたので、「ほっといても治りそう、無理しなければ」と答えたが、情けない会話だ。
 帰りに不在者投票を済ませた。今回ほど簡単な選挙はなかった。実際の日本の将来に待っているのは、困難以外の何物でもないのだが。私がトランプのような乱暴な政治家なら、向こう30年間、全国民には貧乏に耐えてもらい、その間、子どもを中心とした教育、人材育成、研究・開発に徹底的に予算を投入する。そして、30年後から、日本の復興が始まるのだ。しかし、誰でもわかっていることを主張できる政治家がいないのが、残念だ。
 図書館にも寄って、明後日の講演の事前打ち合わせをしてきた。職員がすごく頑張ってくれていて感謝感謝なのだが、やはり天気予報が雨なのが、何ともつらい。
 昼食は抜きにして、仕事に取り掛かった。
 先ず、ビジネス本の第1章の再校ゲラの著者校正に手を付けた。めくじらを立てないようにしながら、読み進んだ。まずまずだった。
 途中で11月の秋田の準備もしながら、こういった作業を続けているのだが、けっこうプレッシャーがある。
 今度は、来週から3回続く、初めての内容の講義の準備だ。過去の遺産がないので、スライド作成に手間ひまがかかりそうだった。
 やり始めたら、勉強が面白くなった。これが私の悪い癖で、適当にごまかすことができない。間違っていても、講義をする本人が理解できていないと教壇に立てないのである。
 午前零時近くなったが、とりあえず来週の準備は完結させることにした。
 午前2時過ぎにやっと終わった。 

10月14日(土)「一帯一路の戦略・・・の風さん」
 私には義理の甥にあたる好青年の結婚披露宴があるので、出席するワイフを駅まで送るため6時起床。
 無事送ったあと、再び、ベッドにもぐり込んだ。
 10時に起きて、ゆるゆると私というシステムを立ち上げていく。老化したシステムは、一気には立ち上がらない。うっかりすると100%パワーになる前にシステムダウンする(笑)。
 今日は覚悟を決めて1週間後の笠間の講演の準備を開始した。
 夕方までに3つの荷物を受け取った。一つは買い物で、それはたいしたことではない。
 昨日見本ができた新刊『咸臨丸にかけた夢』(くもん出版)が、早くも送られてきた。編集者をはじめ、チーム全員のパワーを結集した作品だった。どこまでも良質な作品に仕上げることを目標にしつつ、私のこだわりで、笠間の講演に間に合わせたかった。笠間の子どもたちへの私からの贈り物だからだ。もっとも講演を聴きに来てくれる子どもは少ないだろうが(^_^;)。
 装丁から内部、そして文章にいたるまで、入念に点検するまでもなく、素晴らしい仕上がりだった(自画自賛、お許しを)。これなら、どこへ持って行っても恥ずかしくない。昨年の11月に『円周率の謎を追う』を出版してから、今年5月の『ひらけ蘭学のとびら』、そして今月の『咸臨丸にかけた夢』と、3作すべて水準をこえた作品を世に出すことができた。定年退職して3年半、その意味がようやく成果となって出たわけだ。児童書を待つ人にはちょっと申し訳ないが、これで来年は大人向けに専念できる。
 もう一つ届いたのは、ビジネス書の再校ゲラ(2章、3章分)である。これで著者校正は終了しなければならないので、やるときは真剣勝負となる。今日はもちろん手をつけることはできない。
 夕方、ワイフの帰宅に合わせて、名古屋から長女が帰省してきたので、レストランへ出かけた。目的はパワーをつけること。
 長女からバースデープレゼントをもらった。私の最も好きな色の服で、笠間へ着ていくことになる。
 満腹になって帰宅した。すぐに仕事に復帰できないので、不調のテレビの受信状態を調整してあげたら、NHKの一帯一路ドキュメンタリー番組が出てきた。中国政府の戦略とつながる、若者たちの東ヨーロッパでのビジネスの様子だった。14億人を食べさせ、発展させるための、すごい戦略だが、弱肉強食のような印象も持つ。世の中はむずかしい。グローバル時代に、国としてどうあるべきか、リーダーの資質と、国民の勉強がカギとなる。
 番組を見終わってから、講演の準備の続きを少しした。 

10月15日(日)「過密スケジュールの1日・・・の風さん」
 朝刊の天気予報を見ると、午後の私の講演時間帯だけ傘でなく雲のマークになっていた。本当にそうなったら嬉しい。
 朝食は軽くにしておいて、笠間の講演の準備を続けた。
 今日も昼食は抜きで、講演開始の1時間前くらいに現地に入った。既に、事務局が3人がかりで会場の準備を終えていた。本当にご苦労様である。
 しかし、雨は相変わらず降っていた。何とか止まないものか。
 事務局のお蔭で、私は自分の準備をすればよいだけだった。ワイフと長女は後からやってくる。
 30分前くらいからポツポツと聴講者がやって来た。雨のせいで客足は鈍い。少ない人数で、親密な雰囲気を作りだしながらやることに決めた。しかし、ケーブルテレビも録画を撮りに来ているので、これも気の毒だった。
 講演は準備した通りに進行した。今日は私の誕生日だったので、事務局からサプライズの(素敵な)フラワー(アレンジメントの)プレゼントがあり、嬉しかった。講演の方は、なるべく難しい話題は避けたので、楽しんでくれたのではないだろうか。質疑の時間に、たくさんやりとりができて、これも良かったと思う。また、自宅から和算関係のグッズをたくさん展示してもらったので、それも雰囲気作りには役立ったと思う。
 後片付けは事務局と我が家族全員でおこなったので、早く終わった。
 結局、最後まで雨は上がらなかったので、関係者全員の努力が十分実を結ばなかった気がして、申し訳なく思った(雨を吹き飛ばすほどの力は私にはないからだ)。
 帰宅して、長女が作って持って来てくれたフルーツケーキで休憩した。テーブルの中央に置いた、フラワーアレンジメントは本当に素敵で、良いバースデー記念になった。
 疲れていたが、仕事をしないわけにはいかなかった。
 夕食はきりたんぽだった。長女は、私のバースデーを祝うのを、講演を聴くのと、このきりたんぽが狙いでやってきたのだ。
 夕食後、長女をアクアで名古屋まで送った。
 帰宅したのは午後11時だった。
 寝る前にやることは、ビジネス書の再校ゲラの著者校正だった。第1章は終わっているが、今夜は第2章を終える覚悟である。

10月16日(月)「十二指腸潰瘍・・・の風さん」
 今朝の睡眠は、午前3時半から7時半だった。
 ワイフに駅まで送ってもらい、病院に出かけた。前から予約してあった胃カメラの日である。そもそも1年半前に、このことは主治医と相談して決めていた。続けて大腸内視鏡検査も受けるが、その日程は、これからである。
 鎮静剤を使ってもらうので、キャメロンで行くわけにはいかなかった。
 今日も小降りの雨模様だった。
 2回乗り継いで、病院の最寄りの駅に着き、そこから病院のマイクロバスで現地へ向かった。
 主治医の診察は10時半に予約してあったが、11時過ぎまで呼ばれなかった。
 予定通り、上部消化器官内視鏡検査へ向かった。何度も経験しているので、私は落ち着いていた。できれば、早く終わってほしかった。
 呼ばれたのは正午をだいぶ回った頃だった。
 検査用の移動ベッドは、懐かしいくらいだった。鎮静剤を打たれ、深呼吸をしているうちに、眠りに落ちた。
 目が覚めたとき、途中が完全睡眠状態だったので、まだ検査室にいると思った。しかし、そうではなかった。ナースコールするとやって来て「まだ15分しか休んでいないので、もう少しゆっくりしてください」と言われた。これには驚いた。
 いつも睡眠不足と疲労とで、鎮静剤の効果は激しく、爆睡していた。なかなか起きないので、心配して看護師が確認に来るほどだったからだ。
 不思議なことにもう眠れなかった。
 着替えを終えて戻ってくると、「医師の説明があるから、そのままで待っていてください」と言われた。
 通常は、1週間以上先に主治医の説明を受けることになっているのに、これはどうしたことだ? 少し胸騒ぎがした。
 診察室で、主治医でない医師からの説明を聞いて驚いた。モニター画面を見てもハッキリしているように、十二指腸潰瘍なのだ。ほうっておくわけにはいかないので、と薬を処方された。
 ここ数ヶ月、無理に無理を重ねてきた。とうとう、肉体に異常をきたしたわけだ。
 既に午後2時を回っていて、病院のマイクロバスは夕方まで運行がなかった。
 仕方なく、タクシーを呼んで、最寄りの駅まで行った。
 電車で名古屋へ出て、来年のシステム手帳用のダイアリーを買った。
 まだ時間があるので、書店のブックカフェで、あれこれと雑用をした。
 それから、今度はJRに乗って、昔の勤務地へ向かった。今夜は同期会なのである。私が真っ先に退社したのだが、いよいよ第二、第三の退社者が続く。
 会場へ行く前に、会社に行き、新しいパンフレットをもらったが、小さくなっていた。売上4兆5千億円の会社とは思えない。これが、近年の風潮なのだろうか。
 同期会は飲食しながら言いたい放題だったので、面白かった。全員、技術屋ということもあり、最先端技術の話が多く、大いに刺激になった。しかし、私もそうだが、定年になったり、退社したりしても、技術屋という性は、全身に沁みついていて、きっと何年たってもこんな話をしているのだろう。
 帰宅したのは、午後10時過ぎだった。
 ワイフに紅茶を淹れてもらい、大量に薬も飲んだ。ずっと飲み続けている薬に、先週から顎関節炎の薬が増えていた。そこへ今日、さらに十二指腸潰瘍の薬が追加されたのだ。錠剤が5個とブレンドされた粉薬が一袋だった。後期高齢者にでもなった気分だった。
 後期高齢者だとしても、仕事は待ったなしだった。
 昨夜に続いて、第3章の再校ゲラの著者校正をやった。
 就寝は午前3時になった。今日だけでも、十二指腸潰瘍は進行したかもしれない。

10月17日(火)「十二指腸が悲鳴を上げる?・・・の風さん」
 7時半起床。ということは4時間半寝ていたのだ。
 ワイフを駅まで送った。朝食は抜き。
 昨夜ほぼ完成させた再校ゲラの著者校正のチェックをしていたら、また気になるところがいくつか出てきた。イラストの修正もあって、また自分でオリジナル案を考えて絵を作った。
 宅配の伝票は昨夜(今朝未明)のうちに作ってあったので、しっかり梱包して、出かける準備はOK。
 小雨が降る中、コンビニへ行って宅配を依頼した。
 その足でリハビリへ。今日も少し混んでいたが、予約制なので、時間通りに終わった。
 帰りに買い物をする余裕もなく帰宅。
 長女が作ってくれたフルーツケーキの残りひと切れとコーヒーで昼食に代えた。
 次は、22日の笠間の講演のためのレジュメ作りだ。明日の午前中に送らねばならないのだが、そもそも講演スライドがほとんどできていない。先ずは、ラフなスライド作成に取り掛かった。
 ここで想定外の脱線。某政党(野党)からの選挙応援依頼電話が、鳴海風宛てにかかってきた。政治の話は好きなので、つい長電話してしまった。結論は「もう不在者投票を終えていて、あなたの党へは投票しなかったし、政権を任せるような期待は全然できない」と伝えた。
 続けて、PCのトラブルが発生した。某ソフトのバージョンアップインストールが不具合を発生させたらしい。システムの復元をやって少し良くなったが、もう少し以前に復元するべきだった。また後でやり直そう。
 えらい時間を食ってしまった(汗)。
 暗くなって、ワイフが帰宅した。たいして仕事もしていないのに、それからホットタイムをした。
 講演スライドはできていないが、レジュメを作成する方が先だと判断した。
 夕食後もレジュメ作成に取り組んだのだが、なかなかできない。しかし、やるっきゃない状況だった。
 午前5時過ぎに入浴してからベッドにもぐり込んだ。

10月18日(水)「4回目の講義は無事終了・・・の風さん」
 9時前には起きたが、睡眠は3時間だった。まずまずと考えよう。
 講義資料の再確認は昨夜のうちにやっておいたので、切羽詰まっていることをやって、午前11時にキャメロンで家を出た。
 天気予報では午前中は晴れで、午後からまた雨になるとのことで、今は晴れていても、やはり少し肌寒い。
 非常勤講義が始まると、生活がいくらか規則正しくなるが(笑)、準備のために不規則になることもあるから、意味ないか(笑)。
 途中で郵便物を投函して、講義開始の20分前に本山キャンパスに着いた。今日が後期4回目だ。
 昼食抜きで講義に入った。今日は、Excel教室になりかねない内容だったので、注意しながら講義を進めたが、学生が優秀で、問題なさそうだった。安心安心。
 講義を終えてすぐ家路についたが、まだ雨は降っていなかった。
 帰宅したのは午後5時前で、手が空いたワイフとコーヒータイムにしてから、リビングのソファで夕食前まで仮眠をとった。
 1時間ちょっとの仮眠だったが、爆睡ではなく、うとうとに近く、目覚めるころ、金曜日のビジネス講演のアイデアがひらめいた。
 与えられている課題に対して、主張点を明確にするためには、何かちょっとしたアイデアやキーワードが必要なのだが、それがなかなか出て来なかった。
 おかげで夕食を楽しく食べることができ、9時過ぎから、金曜日の講演の準備に取り掛かろうとして、メールチェックしたら、とんでもないメールが来ていた。今朝送った日曜日の講演のレジュメの中の記述に対する正誤確認だった。史実に関することなので、この対応は真剣勝負となる。
 詳細は省くが、かつて国立公文書館、国立国会図書館などで入手した資料などを裏付けデータとして提示して、事務局へ回答を送った。
 お蔭で、金曜日の講演スライドの作成開始がかなり遅れた。
 徹夜になるかもしれない……と思いつつ、作業を続けたが、時計の針はどんどん回って行った。

10月19日(木)「3時間仮眠では効率上がらず・・・の風さん」
 金曜日の講演スライドがほぼできたので、その抜粋編という形でレジュメ(配布資料)を作成した。
 それを事務局へ送り、入浴してホッとしたら、気に入らないスライドが見つかったので(頭の中で)、もう一度作成し直して事務局へメール送信した。
 就寝は朝の9時。起床は正午だった。
 明日の講演はもう覚悟を決めて、これ以上手は加えない。それより日曜日の講演準備が大事だ。
 レジュメデータは昨日の午前で送ってあるので、その方向でスライドを作成すればよい。しかし、単純そうなレジュメでも、あらためてバックデータをそろえるとなるとけっこう大変だ。
 いつものようにご当地ネタ(算額)を入れて和算の解説をしながら、次第に鳴海風ワールドへと引き込んで行く。ところが、イマイチ納得できるスライドができない。今朝の3時間睡眠では足りないのか。
 そうこうしているうちに、ビジネス本の再校ゲラの残りが届いた。何と来週の火曜日までに返却してほしいという。これからのスケジュールを考えると、講演する茨城県のホテルでやるしかなかった。
 講演スライドは次第に枚数が増えて行った。ちょっと待てよ。こんなにたくさんしゃべれるはずがない。
 気晴らしに日めくりニャンコカレンダーを発注した(長女との相談結果)。
 午前零時を回った。ほぼ完成にしておかないと時間がない。焦れども焦れどもできない。仕事の効率は落ちる一方だった。ここを乗り切れば、年内最大のピンチを乗り切れるのだが…。

10月20日(金)「これが本当に出発前日か?・・・の風さん」
 今朝の5時に少し仮眠することにして、それでも7時には起床。とにかく2時間眠れたことをラッキーと思いつつ、バタバタと準備して出発。今日は名古屋で仕事である。JMA主催の生産技術者ワークショップで、アドバイザーをやっている。
 今日は午前中「生産技術開発のあり方」というテーマで講演することになっていた。事前打ち合わせで、前向きな発言をしたため、自分で講演することになったのだ。こういった習性は、現役時代からのものだ。だから忙しくなる。
 明日からキャメロンで遠出するので、給油や洗車のことを考えて、途中駅までキャメロンで行った。天気は小雨模様。
 超多忙な中で準備したのだが、慣れた話なので、手際よく話ができた。サンプルも持参したし、動画も見てもらった。冒頭、デンソーのHPのトップページにあるPRビデオを見てもらった。技術の解説なのだが、普通の人にはまるで分からない。こういったものを平気でトップページで見せているのだ。株主総会でのプレゼン資料も技術の話がてんこ盛りで、とても株主に分かりやすいとは思えない。しかし、これが私のかつての勤務先の好感度満点の特徴なのだ。だから、ワークショップでも見せたのである。
 講義後、月曜日にわざわざもらってきた会社パンフを全員に配った。トドメである。
 昼食後、1時間ほど質疑に同席したが、もう限界だと言って、途中退場させてもらった。こんなことは初めてだったが、仕方ない。本当に限界だと思った。
 天気が悪かったので、満タン給油はしたが、洗車はしなかった。
 晩ご飯までの時間、仮眠した。
 日めくりニャンコカレンダーが本当に届いた。恐るべき物流革命。
 また講演スライドの作成に取り組んだが、とりあえずのところまでで、完成度が納得できない。しかし、明日のロングドライブを考えるともうタイムリミットだった。
 旅行の準備も途中だったが、寝不足でもあり、とにかく寝ることにした。……と、階下から書斎に戻ってきたら、ぎょぎょ〜ん、書斎のドアの前にちびゴキがいるではないか。ここで見るのは今年初めてである。早速、ゴキジェットで退治したが、あまり元気のないヤツだった。毒エサを仕掛けてから、発見するゴキはあまり元気がない。恐らく毒エサを口にしているのだろう。
 そうこうしているうちに就寝は、午前3時半になってしまった。やばい。

10月21日(土)「今年三度目の笠間行き・・・の風さん」
 当初予定より遅い8時起床。だから、睡眠時間は4時間半だ。ロングドライブになるので、6時間は寝たかった。
 バタバタと準備して9時40分に出発した。よほどの渋滞予報がない限り、首都高速経由になる。いずれにせよ、慣れたコースだ。ナビは宿泊するホテルにセットしてあるが、高速道路をおりるまで不要なくらいだ。
 天気は小雨。台風が近づいているせいである。曇りならエアコンは不要だが、湿度が高いので、ミックス状態で使う。エアコンを使っていても、キャメロンの走りは軽快だ。乗り心地はひどいものだが、このパワーがドライブのストレスを著しく減らしてくれる。
 雨模様の土曜日でも、高速道は一般車の走行が多い。
 いつものように浜松SAで最初の休憩にし、うなぎエクレアを食べた(笑)。ジャズの生演奏(ヴォーカル付き)をやっていて、スタンダードナンバーを流していた。とてもお得な良い気分になれた。が、演奏を終了して、観客のアンコールに応えなかったので、一気に不愉快な気分になった。サービス精神旺盛な風さんには考えられないおごった態度に見える。明日の投票でも、野党はそういう目に遭うことになる。反対しかしない政党に国民が期待するわけがない。勇気をもって政策を訴えるべきだ(私なら国民が痛みをともなう政策を主張する。将来の子どもたちのためだ)。
 鮎沢PAでかき揚げ蕎麦で昼食にした。渋滞もなく順調である。そして、寝不足も感じることなく、元気だ。
 首都高速に入ってすぐの渋滞情報はあったが、たいした距離ではなかったので、そのまま入った。首都高速の混み方はだいたいいつも通りで、ナビの指示通りに走り、途中、何度も分岐があったが、愛知県のように運転マナーの悪いドライバーだらけということはなく、私にすれば、スムーズに走ることができたと思う。首都高速も向島ルートに入ると、ホッとする。やがて常磐道に入った。クルマの数は一気に減った。
 最初の守谷SAに寄った。何度も寄っているところだ。ここでコーヒータイムにした。目的地まであと1時間くらいだ。
 目的地のホテルには午後4時40分ころ着いたので、7時間かかったことになる。走行距離は500km未満である。
 部屋は高原の別荘かスイートルームのような作りだった。
 笠間稲荷神社の近くの料亭で6時から歓迎会が予定されていたが、十分に間に合うことができた。
 市長をはじめ、市の職員、観光協会、お菓子屋さん、そして何度もお世話になっている杉田さん、笠間稲荷神社の宮司、教育長などたくさん来てくれて、まだ仕事をしていないので、恐縮しつつも、リラックスしたムードに浸れることができた。今回のイベントに間に合わせた、友五郎ブランドのお菓子やお酒がイベントをさらに盛り上げた。
 8時で歓迎会は終了し、ホテルに戻ったが、酔っ払ってもいたし、すぐに仕事をする元気は出なかった。とりあえず風呂にゆっくり浸かって、さきにひと眠りすることにした。

10月22日(日)「不利な条件の中、講演会は大成功・・・の風さん」
 5時に起床。まだ納得できていない講演スライドの最終調整に取り掛かった。
 なるべく本筋の話にしぼり、スライド枚数を減らす一方、流れが明瞭になるようにつなぎを工夫した。やっぱりひと眠りした効果だろう、イメージした通りのスライドが出来上がった。
 予約してあった8時に朝食を摂りに行ったら、宿泊客がたくさんいた。投票日で外は雨だが、菊祭りを始めとする観光シーズンだからだろう。私もいつか観光だけを目的に当地を訪れてみたい。
 雨の中、笠間稲荷神社へ向かった。講演会場はそこの稲光閣である。
 9時半に到着したが、既に会場作りが始まっていて、市の職員が忙しく働いていた。とりあえずプロジェクターとスクリーンの調整をしてもらい、私は、ロビーで『咸臨丸にかけた夢』のサインに取り掛かった。私の指定で200冊届いているので、午前中いっぱいかけてサインする。売れ残りはすべて引き取って、キャメロンに乗せて持ち帰る覚悟だった。
 もともとサインはのろいが、次々に知人がやって来るので、挨拶や会話をして、サインの作業は中断した。
 正午近くなったが、サインは終わらない。途中でサインの目標を150冊に下げていたが、それもおぼつかなかった。
 昼食抜きでやる決意をしたのだが、用意してあるからと説得され、弁当をいただきに行ったら、これがまた豪華なとんかつ弁当で、満腹になった(笑)。
 講演が始まる10分前までサインに取り組んだが、まだ数十冊残っている(50冊は箱から出さず、私がそのまま持ち帰る予定だった)。
 市長の挨拶から講演会が始まった。定員200名の会場には、かなりのお客が入っていた。実は、次女も来ていた。
 あとで聞いた話では、チラシが175枚なくなったそうだから、確かにたくさんの客が来ていた。
 私はいつものビジュアル講演をした。次第に会場と一体となり、何度も笑いを誘い、盛り上がった。そうなると、私もさらに調子が出て、リラックスして講演を続けることができた。
 それほど時間オーバーすることもなく、熱気にあふれたムードの中で講演を終えることができた。ベストを尽くせた私は満足だった。
 終わって、MacBookAirなどを片づけて、本の販売コーナーへ行くと、150冊はすべて売れたか、あるいは買い手がついていて、私は急いで未サイン本にサインをしなければならなかった。
 そんなことをしていたので、今日から発売の友五郎ブランドのお菓子やお酒をほとんど購入することができなかった。
 雨はまだ強く降っていて、お客は次々にタクシーを呼ぶなどして帰り、会場の片付けもすごい速度で終わった。そういえば展示物もゆっくり見たり写真撮影をしたりできなかった。
 何となく取り残されたような気分だった。50冊の本を始め、私自身の荷物も多く、キャメロンを稲光閣の玄関前にとめて、とりあえず荷物を載せた。そして、名残惜しいような(宴の後といった)気分のまま、キャメロンを発進させた。
 ホテルに一人で戻ったが、すぐ荷物の整理をする元気が出なかった。
 夕食の誘いがあって出かけたが、最後の気力と体力をふりしぼって談笑した。
 再びホテルに戻り、頭から離れなかった次の仕事は明朝やることにして、とりあえず風呂に入って寝ることにした。今夜は部屋が普通のシングルになっている。

10月23日(月)「講演翌日もハードスケジュール・・・の風さん」
 3時にセットしたiPhoneのアラームが鳴ったが起きられなかった。
 5時にセットしたベッドサイドのアラームが鳴ったが、まだ起きられなかった。
 7時に、もういくら何でも、と気力をふりしぼって起きた。
 朝食を予約した8時半まで、ビジネス本の後半の再校ゲラの著者校正に取り組んだが、終わるわけない。しかし、明日まで出版社に届けることになっている。
 こうなったら、レストランで終わるまでやろうと決意して、階下へ降りて、フロントにチェックアウト時刻を尋ねると、なんと11時半だという。それなら部屋でやれる。
 レストランに客は一人だけだった。外はまだ雨である。朝食を終えて、部屋へ戻り、著者校正の続きをやった。
 11時過ぎにだいたい終えることができた。窓の外を見ると、雨が上がっている。台風はどこへ行ったのだろう。
 フロントでガムテープを借りて、著者校正済みゲラを入れた封筒を封印した。クロネコの伝票を持参しているので、コンビニを回って探すつもりだった。フロントにコンビニやGS、さらには時習館展をやっている公民館などの位置を聞いた。
 チェックアウトしたが、フロントマンも昨日の講演を聴いてくれたそうで、面白かったと言ってくれた。やはり、関係者があちこちへ声をかけて聴講を促してくれたのだ。本当にありがたい。
 フロントマンに見送られてホテルを出発した。なんと青空になっている。台風はもう遠くに去ったので、天気は心配ないとのことだった。
 正午前に笠間稲荷神社へ行き、菊人形展を見学した。メインの直虎よりも、今回特別に作られた小野友五郎とブルック大尉の菊人形を見るのが目的だった。微笑ましい作品だった(笑)。
 続いて、神社で交通安全のお守りを買った後、近くのお菓子屋へ行って友五郎饅頭をお土産に買った。お店の人も私の講演を覚えていた。
 稲光閣の前に置いたキャメロンに乗って出発するとき、誰かの送迎のためにたくさん並んでいた巫女さんたちが、笑顔で見送ってくれた。やはり多くの笠間市民に支えられて講演会は盛り上がったのだ。
 最初に寄ったコンビニがクロネコを扱っていたので、宅配を頼み、続いて公民館へ向かったが、月曜日のせいで休館していた。残念、時習館の勉強ができなかった(もう小説には書いてしまったのだが)。
 GSで満タン給油して、やっと家路についたが、まだ目的地が一つあった。群馬県高崎市の書店である。
 キャメロンのトリップメーターをゼロにして出発した。
 145km走って、午後3時ころ、高崎市榛名の知人の書店に着いた。笠間市のために『怒濤逆巻くも』上下巻2セットを寄贈してくれたので、そのお礼に寄ったのである。新刊と友五郎まんじゅうを贈呈した。
 ここで話が盛り上がって、再出発は4時半近くになってしまった。大きな梨をお土産にもらった。
 こんなハードスケジュールなのに、私は信じられない元気さで、キャメロンも快調に走ってくれ、帰宅したのは、午後10時だった。笠間のGSから548.5kmのロングドライブだった。往復で1000km以上走ったことになる。
 さっそく友五郎まんじゅうを食べながら、ワイフと笠間の土産話をしたが、明日の仕事がたくさんあるので、午前零時過ぎに就寝の準備に入った。

10月24日(火)「やっとエッセイ原稿は完成・・・の風さん」
 久しぶりにまともに寝た。まともというのは、そこそこの時間で、こま切れでない連続、という意味。
 朝食後、キャメロンで外出。コンビニで出版社へ宅配を送ってから、リハビリに向かった。
 顎の痛みが治らないので、整形外科の外来も受診した。こちらの方は、顎関節炎ではなさそう、ということで、口腔外科の受診を勧められたが、多忙なので、すぐ紹介状を書いてもらうのはやめた。来週歯科検診を受けると言ったら、そこでも何らかの検査はしてもらえると言われ、口腔外科はしばらく保留。それにしても、ガタガタだなあ、この老体は。
 買い物をしてから、帰りに図書館に寄った。先週の座談会のお礼と新刊『咸臨丸にかけた夢』の寄贈をしつつ、笠間土産ということで、友五郎まんじゅうを進呈した。多くの人たちに支えられている風さんなので、感謝の気持ちは忘れてはいけない。
 帰宅してからエッセイ原稿の執筆に取り掛かった。締め切りは明日で、明日は非常勤講義があるので、今日中に送付しておきたかった。
 短いエッセイで、何を書くかは決めてあったが、共感を呼ぶ書き方にするため、ちょっと悩んでいた。今朝の起きがけにそのアイデアが浮かんだ。最近は、三上(鞍上、枕上、厠上)の中でも、枕上が大活躍である。
 夕方やっとエッセイが仕上がったので、メール送信した。
 晩ご飯の後は、いよいよ明日の非常勤講義の準備である。以前から少しずつやっておきたかったのだが、まったく手が付けられなかった。初めての内容なので、理解して、講義資料にするまでの時間の予測できなかった。
 案の定、時間は矢のように過ぎて行った。

10月25日(水)「10月のヤマ場を乗り越えた!・・・の風さん」
 今日の非常勤講義の資料がだいたいできたのは、午前7時だった。ここまで徹夜だったので、少しだけでも寝ておこうと、書斎で横になった。
 8時にワイフに起こされた。駅まで送る約束だった。外は雨が降っている。
 ま、1時間睡眠でも仕方ない。帰宅してから、入浴した。気分をシャキッとしたかった。
 その気分で講義のテキストを読んだら、新たな発見があった。ラッキーである。講義資料と配布資料を修正した。
 11時にキャメロンで家を出た。
 いつものように途中駅にキャメロンをとめ、電車と地下鉄を乗り継いで本山キャンパスへ着いた。直前の勉強で、理解が進んでいたので、気持ち的には余裕があった。
 しかし、実際に講義をしてみると、最後の部分で理解できていないことに気が付いた。
 来週までに田村先生の指導を受けようと思った。
 帰りは、名古屋へ来ているワイフと合流して帰ろうと、金山駅で時間調整のコーヒータイムに入ったら、まもなくメール「名古屋から電車に乗りました」おい、待てよ、一緒に帰る約束だったろ? 
 慌ててコーヒーを飲み干して、駅へ突進したが、2分違いで間に合わなかった。
 結局、次の電車に乗って、だいぶ遅れて、途中駅でワイフ(ワイフもうっかり乗り過ごして戻って来ていた)と合流できた。超多忙夫婦はドジばかりだ(笑)。
 10月のヤマ場を乗り越えた私は、もうヘトヘトだったが、とにかく乗り越えたのである。
 夕食時に、残っていたワインと、缶ビールを飲んだ。この開放感がたまらない。

10月26日(木)「正午起床・・・の風さん」
 正午起床。ああ、なんと響きの良いことば、正午起床。
 子どものころから、睡眠時間は長かった。受験生になっても、短い睡眠では頭脳は回転しなかった。社会人になると、自分勝手は許されなくて、自己犠牲が睡眠時間の短縮につながった。それでも、週末に寝だめして挽回したものだ。ここ2か月の状況は異常だったと思う。
 しかし、ひと晩寝たからといって、元に戻ったわけではない。全身に疲労が蓄積していた。体調不良もある。一つずつ解決しないうちに新たな不良が発生している。中でも、顎の痛みは気になる。十二指腸潰瘍への悪影響を避けるため、ロキソニンを中断したので、症状を軽くすることができなくなった。それも気分が低調になっている原因の一つだ。
 たまっている雑務を少しずつ処理していくのが今日の重要課題だ。
 お世話になった笠間市の人たちへ、お礼のメールを送った。先方から先にお礼のメールが来ていたので、やっと返信できたのである。正直にハードスケジュールだったことを打ち明けて、返信が遅れた謝罪のことばにした。できれば、また近いうちに訪問したい。やり残していることがある。
 あっという間に夜になり、晩ご飯のときにまたビールを飲んだ。ワイフは週末の町の文化祭にトールペインティングの作品を展示するため、ラストスパートである。毎年のことなので、教室の生徒さんたちの方が慣れている。一番最後にゴールにたどり着くのが先生であるワイフだから笑ってしまう。
 寝るまで花粉症のひどい日でもあった。

10月27日(金)「今日も雑務処理・・・の風さん」
 昨日より早い10時起床。睡眠時間は8時間だ。天気も好いが、まだ体調は戻らない。疲労が残っているし、顎や首が痛い。裏の土地の草刈りをやる必要があるのだが、できそうもない。
 プロバイダーからの一方的な通告で、ホームページの提供がなくなる。だいぶ以前から準備できたのだが、こう忙しくては無理だった。期限の10月末まで、もう数日しかない。苦肉の策で、気まぐれ日記のバックアップ用のWebsiteを、今度はホームページにし、バックアップはそこからリンクすることにした。
 ゲーム感覚で、ホームページ移行のプロセスは計画できるし、実行もできるのだが、画像の貼り付けなど、いちいちやり直す必要があり、面倒である。今日は、いくつかのページを変更して、手応えをつかんだ。明日にもほとんどの作業を終えないと閲覧者に迷惑がかかる。頑張らねば。
 購入時にかなりハイスペックにしたデスクトップパソコンは、今でもその性能の陳腐化は感じないが、使い込んだキーボードは物理的に消耗してきた。頻繁にたたくキーは文字が磨滅している。そこで、ブルーツースで機能する、ひと回り小型のキーボードを購入してあった。過去形になっているのは、本体のデスクトップパソコンがブルーツース機能を持っていないからだった。外付けの(USB接続の)アダプターが今朝届いたので、早速試してみると、簡単にプラグ&プレイできた。ワイヤレスになった効果も合わせて、机上がスッキリした。キーを叩く音も小さい。
 笠間でもらった名刺もスキャナーで読み込んで整理した。
 難しい仕事はまだやりたくないが、簡単な雑務もけっこう多い。

10月28日(土)「町の文化祭を見て思うこと・・・の風さん」
 睡眠時間は7時間。だんだん減り始めたな。
 また、週末が雨である。ウィークデーに働いている人たちには気の毒だ。せっかくの休日なのに。もっとも私は1年365日働いているので、関係ないが。しかし、この年中無休状態というのは、中学校時代、受験を意識する頃から始まった気がする。やっと大学に入学できても、ホッとしたのは1年もなかった。すぐに勉強の遅れが目立ち始めたからだ。頑固に独学だったから授業についていけなかった。今頃になってわかった。しかし、その研究スタイルが、技術開発や創作活動には向いていたわけだ。それも、今頃になってわかった。人生とは不思議なものだ。
 ブランチ後、郵便物を投函しがてら町の体育館に出かけた。町の文化祭の展示を見るためだ。毎年見に行っているのは、驚きがあるからだ。プロの作品はほとんどない。田舎の文化祭と言ってよいだろう。しかし、すぐれた作品が多いのである。こういった趣味の世界というのは、別に受験のためとか商売ではないから、いくらでも手間ひまかけられる(もちろん限界はあるが)。こうなると、試験の答案用紙を埋める以上のことができるのだ。芸術は、効率を度外視したとき、アマチュアもプロの領域に達する作品を仕上げることができるようになる。私は、そのアマチュアがそのままプロ活動をしているだけなのに違いない。やれやれ。疲れるわけだ(笑)。
 小雨が降る中、体育館へ向かったのだが、多くの町民が次々にやってくる。すごいことだ。
 ワイフのトール教室の作品の展示だけでなく、生け花、書、絵画、手芸などいちおう全部見る。児童書の関係で、今年は切り絵にも注目した。優れた作品が多かった。
 7年前に閉館した京都の思文閣美術館から、展示目録が届いた。2005年の「和算の時代」がしっかり記録されていた。私は講演を依頼されて出かけて行ったのだが、企画展の関係者のご苦労が伝わってきた。その後も和算に関わり続けているので、いくらかは貢献できているのかもしれない。さすがに美術館で制作しただけあって、上質な目録で、嬉しかった。
 今日は、いよいよホームページの移行の最終作業ということで、各ページが新しいWebsiteで見られるように調整をした。やっかいなのは、気まぐれ日記のバックアップで、各月の末尾についている、リンクをすべて新しいWebsiteに更新することだった。これを終了させるには、まだ数日かかりそうである。

10月29日(日)「ホームページの引っ越しが終了・・・の風さん」
 睡眠時間は6時間。また減った。そして、今日も雨。台風が通過中だ。
 今日は覚悟を決めて、ホームページの更新に取り組んだ。ただし、連続して作業をしていると、あまりの単調さに発狂しそうになるので、途中に違う作業を入れながら、である。
 体験教室の仕事をしてきたワイフが帰宅し、肉まんとあんまんを買ってきてくれたので、今日は昼食抜きとはいかなかった。その後、ワイフは、体育館に展示してあったトールの作品の撤収に出かけて行った。雨なので、作業は大変だが、生徒さんたちが手伝ってくれるので、私の出る幕はない。
 晩ご飯になるころ、ホームページの引っ越しはほぼ終了した。アクセスカウンターの数字も引き継いだので、通算のアクセス数が分かる。短いに日にちの間に、常連さんがうまく引っ越し先へ来てくれればよいが。
 次の非常勤講義のための準備も開始した。
 夜は、来月のパネルディスカッションのための勉強を再開した。早く自分の講演の骨子を作らねばならない。
 資料を色々と読んでいるうちに、意外と行政が的確な指針を示していることに気が付いた。課題は、それをどう実行するかだ。

10月30日(月)「雑務が多過ぎる・・・の風さん」
 9時起床。風が強い。台風一過の風か。
 さっとメールチェックしてからキャメロンで出発。1時間以上のドライブで、胃腸科の病院に着いた。
 意外にも、ピロリ菌検査が陰性だった。十二指腸潰瘍はそれほどひどくないが、原因が特定できないので、とりあえず胃酸を抑える薬を少量で継続することになった。来月は大腸の検査もあるので、その結果が出る頃また相談することになった。
 カリチューへ行き、年が明けたらキャメロンの修理を急ぎたいと相談した。傷んできた幌と接続部分のゴム部品が優先になるだろう。車検の年と修理の年を交互に繰り返しているので、来年は修理の年になる。
 歯医者へ行き、定期健診を受けつつ、顎の状態も診てもらった。歯科医に診たては顎関節症で、簡単には治らないとのこと。いよいよ口腔外科だ。一方、歯の方も、新たな治療を受けることになった。
 大型家電量販店に寄って帰宅。
 11月のパネルディスカッションの講演要旨を出さなければならないので、今夜はそれに集中した。なので、非常勤講義の準備ができず、レポートの採点だけにとどめた。

10月31日(火)「なかなか落ち着かない・・・の風さん」
 今日はリハビリの日だ。ついでに整形外科の診察を受けて、昨日の歯科医の診たてや十二指腸潰瘍の報告をし、口腔外科の紹介状と診察予約をお願いした。明後日行くことになる。これだけ病院通いが多いということは、やはり肉体的にはリタイヤしてもよいということかもしれない。やれやれ。
 帰宅して、講演要旨の作成の続きをした。昨夜の下書きをベースに完成度を高めた。随分と時間がかかったが、やっとできた。講師のプロフィール紹介文も作成した。講演時間が短いので、かなりの工夫を要する。しかし、それとは別に、コーディネーターとしてパネルディスカッションの進め方も考えなければならない。経産省の知人から情報を得る約束ができたのはラッキーだった。
 12月の初めに、また江川邸や笠間を訪問することになりそうだ。こちらも着々と準備していかねばならない。
 夕方からワイフと買い物に出かけた。自分の衣料で、秋田行きのためでもある。すごい勢い(速さ)で選んで購入した。
 ついでに晩ご飯も食べてきたが、平日の夜のイオンモールは客が少なく、寂しかった。
 帰宅して、ホットタイム休憩後、非常勤講義の準備に取り掛かった。なるべく時間をかけないやり方で、と思ったが、時間はどんどん経過して、やっと終わったのは午前2時過ぎだった。
 就寝は午前3時。明日の午前中に田村先生の指導を受けるのが楽しみである。

2017年11月はここ

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